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この星は呼吸する


陽は一人一人に囁く


ほらすぐ側の葉について世界を逆さに見せている

空間
既に持っている自由を表して


チャンスとなって止めど無く来てくれる

”今”を感じる

自分なりに

終着点を”幸せ”に結びつけて掴めたら

明日の全てが新しくなる


きっと

木曜日

無農薬野菜


晴れた朝、いつもより遠回りをして目的地に向かっていたら、お花屋さんの植物たちが涼しげに水をポタポタ落としている姿が目に止まりました。

簾の下で青々と丈夫そうな葉と葉の合間に、小さな赤い実が見えて、ミニトマトだと気づいた。買って行っちゃおうかなと考えてじーっと見ていたら、”無農薬”という表示が目に飛び込んできた。丁度、今年は家庭菜園をしようと思っていて、出来れば無農薬や有機の苗や土でやれたら良いなと思ってた。”ココにあるよ’’と言われた気がして、なんとなく黄色いミニトマトを買っていくことにした。お花屋さんが「実付きが良いよ  あと2.3日したら食べれる」と言ってくれたので益々嬉しかった。

昨日、黄色くなったミニトマトが増えていたから、初めて食べてみた。
お店で売ってる糖度の高いトマトも食べた事があるけど、口に入れてプチっと噛んだ瞬間、凄く懐かしい甘い味がした。いちご?そう思った程、優しい甘い風味が口の中に広がった。(美味し〜い)3時間の散歩の後どんな食べ物を食べるより満たされた気持ちになった。

私は祖母の家で産まれ、アトピーも持っていた。母にずっと言われて来た。「お婆ちゃんの作ってくれた無農薬の野菜で治ったのよ」
祖母は、祖父と共に、元々石ころだらけだった土地で、一個一個石を拾いながら、耕して、畑にして来たという。私が祖母の家を離れても、祖母は野菜を送って来てくれた。私が小さい頃に一番好きだったのはかぼちゃ。かぼちゃの煮付けは大好きだった。大人になって、上京し、初めて自分でスーパーの胡瓜を食べた時、苦くて最後まで食べられなかった事を今でも覚えている。久々に実家に帰ってお婆ちゃんの作った人参を食べた時、思わず「人参が '私は人参だよ!'って主張してる」なんてことを言っていた。兄も「本当だー!」とその香りや甘みを、改めて実感して、共感したひとときだった。
私は体質もあって、スーパーで売っているような普通のお菓子を余り食べられなかった。だから、好きなオヤツと言えば、麩菓子やサツマイモ。蒸かし芋や大学芋が大好きだった。砂糖の甘さじゃなく、サツマイモ本来のあの甘さが、たまらなく好きで、食べる幸せを感じる。カボチャも人参も同様で、美味しいと感じるあの自然の甘みは、無農薬で育った野菜にしか無い。

母がよく作ってくれていたポテトサラダも、薄味仕上げだったけれど、マヨネーズの味でも無く、ハムの味でも無く、あのじゃが芋のあったかい素朴な味が、塩で際立って、胡瓜もシャキシャキで、同じポテトサラダという名前でも、食べた時の味わいは全然違う。無農薬の野菜には味を作らなくても本来の美味しさが沢山隠されてる。無農薬と言えど、作る人によって、味はそれぞれだと思うけど、安く手に入る味を失った野菜とは、絶対に違うと思う。

中には、無農薬の野菜の方が珍しいという人もいて、そういう人は 素材の味の差を知らなかったりする。それが当たり前で来たんだから、そんなものだと感じて来たのかもしれない。そんな人が無農薬の野菜を食べると、「凄い美味しい」「凄く良いものに出会った」と感動していたりすることもあって、歯痒さと同時に感動も覚えるし、もっとみんな''美味しい''を知れる余地があるのかもしれない

なんて気付かされたりする。

最近オーガニックのものや、有機の食品も、身近なスーパーでも見られるようになって、嬉しく思う。本当の美味しさが、常識になればもっと心も豊かになるような気がして、そして何より、持病が持病で無くなったり、不調が消えたりすると思う。

無農薬じゃ無い食品を食べたり、ポテチを食べたりすると、すぐに吹き出物や肌の酸化、唇の腫れや赤らみやアトピーの症状が顔を出す私は、無農薬しょだけが、''食べ物''なのかもしれない。3名様限定 青森県無農薬野菜アグリパック(卵入り)プレゼント